神聖喜劇 (第2巻)
- 作者: 大西巨人,のぞゑのぶひさ,岩田和博
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/05
- メディア: 単行本
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具象としての絵=感覚、抽象としての言葉=論理。多分、原作の論理以外の部分が絵として処理されていることで、むしろ論理の部分に集中しやすくなっているのだ。そして、具象の部分がより高度なイメージ=抽象になっている。文章と絵がこれほど見事に結合された表現というのは、何と比較して良いのか分からない。ゴダールは、言葉であれ絵であれ、あれは詩だ。画像と言葉が同じレベルで詩として響き合うのが感動なのだ。それに対して、このマンガは散文なのだ。散文として、イメージと言葉を一つに結合するなら、それはマンガという形にならざるを得ないのではないか。
実際、ドストエフスキーを映画化して成功した試しがあっただろうか?ヴィスコンティーの「白夜」位しか思いつかない。でも、「白夜」なんて、小説で読んだこと無いもんな。
ドストエフスキー(Dostoevsky) のプロフィール - allcinema
まあ、一応、このくらいはあるのだけれど、ブレッソンとかクロサワとか自分の題材として扱う自信がある人なら兎も角、普通あの世界を映画にするというのは諦める。
その意味では、マンガというのは、論理と散文を忠実に内包することが出来る表現手段であって、その可能性の極北的な作品がこうして現れたと言うことは、まことに端倪すべきであり、そのこと自体だけで感動なのだ。
埴谷雄高なんかも、この調子でマンガにしてくれると嬉しいな(お気楽な物言いだが)。挫折して、「死霊」も読破してないもんな。