イタリア映画祭2006@有楽町・朝日ホール(4)閑話休題

 今日の1本目は最後の日に見る方がスケジュール的には効率良いので、パス。でも、特別上映含めてあと2本。完全制覇まで王手かかったか?加藤泰見に行く方が正解かもしれないけど、やはり、新しいもの見たいんだよね。古い奴ほど新しいものが好きなんでござんす。新しい刺激が無くなると、心が年取るからね。
 ここまで振り返ってみると、今年は小粒の印象。ただ、ハズレもなく、それなりに楽しめる佳作が揃ったという感じ。去年の自分のブログのイタリア映画祭2005を見返してみたら、同じことを去年も言っていたけど。1年経つと、心の中で美化されてしまうんだろうか?先物買いの楽しみがこの映画祭の面白いところなのだけど、作品的には、特別上映の扱いになったジョルダーナの「13歳の夏に僕は生まれた」が頭一つ抜けていたな、と言う印象。
 先物買いという意味では、バルボラ・ボブローヴァが買いだと思う。日本でもハーフって人気あるけど、イタリアでもやはりちょっと東欧出身でエキゾチックというか身の回りの女の子とは違う感じというのは受けるんだろうなあ。かわいい顔しているけど、昔のジュリエット・ビノシュみたいな強さがあるんじゃないのかな、と言う気がした。今後のポイントは、やはり、監督と男を見る目があるかどうかと言うことでしょう。その意味じゃ、ジュリエット・ビノシュって、すごい女だよな。カラックスとつきあっていると、キェシロフスキ位までしか他の監督の映画に出るのを許してくれないから、と言って別れて、今や国際女優だもんな。今だからこそ、又カラックスの映画出てやれよ、と言いたい。
 フランスのサッカー代表じゃないけれど、EUの各国家のアイデンティティーというのは、フランス、ドイツ、イタリアのような大国ほど揺らいでいるんだろうなあ。むしろ、あまり移民が行こうとしないような国の方が、独自色や個性を国際的にもアピールしやすくなっていくのかもしれない。それは是とも非とも言えないようなことかもしれない。
 あとは、ピッチョーニの「私が望む人生」が大人の上手い恋愛映画という感じで楽しめたかな。初日はイタリアの家庭崩壊後、二日目はイタリアの恋と愛の今、三日目が現在のイタリア社会に於ける移民問題という感じだったな。とは言っても、各日二本くらいのレベルでの話だけれども。意図したのかどうか分からないけど。塩野先生御推薦の「哀しみの日々」も、毛色が変わっていて面白かった。多分、これまでの基準だとこれは選ばなかったんじゃないのかな、と言う気もする。映画の映画とか、シネフィル気取りの選択にならないようなこういう工夫も大切だと思う。
 それで思ったけれど、こうしてテーマも絞らず日記としてブログ書いていると、気持ち悪いのは、映画の話をするときと、ロックの話と、マンガの話と、デジ物・ITの話をするときじゃ、やはり語り口というか文体というか、スタイルがなかなか統一出来ないんだよね。どうしても、ずれてくる。それは、書いている人間のパーソナリティーとか、分裂病だ、とか、そう言う個人的な問題もあるんだけれど、人間、やっぱり色々興味はあるわけで、それをトータルに積分して1人の人間は出来ている。個人的な趣味で書いているんだから気にする必要はないと言えば、全然無いんだし、それはお前がそれぞれの分野で別の評論家の影響だけで書いてるからだよ、と言われれば、まあ、そうかもしれないけどさ。