「夜よ、こんにちは」:監督 マルコ・ベロッキオ


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 新装開店後始めてユーロスペースに行ったが、すごいところにあるな……。ラブホのど真ん中。お手々つないだカップルと並んで歩き、左右に分かれ、あのマニアックなシネコンに足を踏み入れると、なんか、いまのが人生の分かれ道で、俺は人生を今間違えてしまったのだ、と言う感慨に一瞬捕らわれてしまった(もうとっくの昔に間違っているっつうの)。オシャレなつもりかもしれないけど、あの小さな男性用便器(小)も嫌だ(笑)。シネヴェーラってのも、ここにあったのか。なんか異様な建物だな。その気になれば、1日ここで過ごせてしまいそうで怖い。そもそも、渋谷の人混みを駅からあんなとこまで歩くのが、そもそも嫌だなあ。渋谷って、なんであんなにみんな歩くのが遅いんだろう?暇なプーしかいないっていうことなんだろうか?あー、うぜ〜。
 という訳で、この映画なのだが、イタリアの「赤い旅団」の1978年のモロ元首相誘拐・暗殺事件の話。主演のマヤ・サンサが素晴らしい。エレベータの挿話とか、彼女に言い寄る男の逮捕とか、お隣さんや御近所の人、壁の落書きなど、どうも臭い秘密があちこちあるのだが、何も解明されず、壁の落書きのように秘密の記号のままなのだ。これがこの映画を謎の中で宙づりにしている。マルコ・ベロッキオらしい映画で、映画としては堪能した。が、どうにもすっきりしない。
 映画は映画で、政治を論じたいのなら本を読めばよいのだろうが、普通の2006年の日本人的には、何故、彼らが1978年にモロ元首相を誘拐しなければならなかったのか、ピンとこないので、ググってお勉強する。
http://www.geocities.jp/showahistory/history6/showa53.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1029.html
田宮二郎の自殺の年か。そう思うと、少し身近に思えてきた。)
 この映画を見ても、「赤い旅団」が何故モロ元首相を誘拐しなければならなかったか、などということは分からない。イタリア人には自明の話なのか、どうかもよく分からない。多分、一般的なイタリア人にも、そんなこと、納得のいく説明は普通の人には出来ないだろう。パンフで監督も言っている通り、この映画はこの事件を事件として描くことに徹している。
 彼女がモロの解放を夢見て、その夢があり得たかもしれない、有り得なかったかもしれない解放の夢が、ニュースの画像と交互に現れて終わるという最後なのだが、これがどうにもすっきりしない。人権的には誘拐・暗殺などもってのほかだが、これだけ見ると、結局「赤い旅団」が幼稚で不寛容な若者の集団だったのだ、と言うことになると思う。それは、それで正しい総括なのかもしれないが、それでいいのか?「赤い旅団」を支援する謂われなどこれっぽっちもないが、これで良いのだろうか?と言う問が頭から離れない。多分、連合赤軍とかあさま山荘を映画化しようとすると、同じ問題にぶち当たるんだろうな。人を殺したから良くない、では、ちっとも良くないと思うんだが。