「バガボンド」
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- 作者: 井上雄彦,吉川英治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/03/23
- メディア: コミック
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- 作者: 井上雄彦,吉川英治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/11/19
- メディア: コミック
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宮本武蔵というと、自分的には、昔お正月に朝から晩までTVで見たのが、イメージの原型になっているんだけど、内田吐夢&中村錦之助のバージョンだったんだろうか?記憶があやふや。でも、今後はこれがイメージになってしまいそうなインパクト。
とにかく、武蔵がカッコイイ。それから、どの登場人物も顔が今風なのが、時代劇として斬新な感じ。吉川英治の「宮本武蔵」を原作にこのタイトルを付けたのも勝因。お通というと「私いつまでも待ちます」というイメージだったんだけれど、ここでは当に今どきのキャラ。ストーリーも手を入れているみたいだし、吉川英治原作と言う必要もなかったのかもしれない。
それから、セリフが良い。セリフが良く響く。『我が剣は天地と一体』とか、これがすんなり違和感なく聞けるのは時代劇だからだろうか。こういうセリフは、吉川英治からどれくらい引っ張ってきているのだろうか?
宮本武蔵というのは、要するに、手の付けられない暴れ者が剣の道に目覚めて成長していくという話なので、いつの時代にも万人の共感を得られる話になる。でも、マンガで宮本武蔵をやったのは、今までどんなのがあったんだろうか?誰でも知っているだけに昔はやりにくかっただろうし、カウンターカルチャー的な視点から見るとパロディのネタにしかならなかったかもしれない。それが、今の若い人にしてみれば、宮本武蔵という名前は知っていても、吉川英治なんて誰も読まないだろうし、むしろ新鮮に捉えられる時代なんだろうな。古典→パロディ→再評価というのは、一つのパターンだ。
とはいっても、その再評価というのは、何か新しい視点から捉えている訳で、同じストーリーであっても、時代によって描き方が変わってくる訳だ。宮本武蔵というと、当然これは剣の道の求道者なのだけれど、この武蔵はすごく虚無だ。何のためにこんな事をしているのか、常に問い続けている。天下無双とは言っても、それは何か?と常に問い続けている。
柴田錬三郎の登場人物ならニヒルなので、何も問わないし、悩まない。それが格好良かった。そもそも、シバレンで宮本武蔵が出てくるようなものって余りないんじゃないのかな?これが山田風太郎だと、「魔界転生」みたいにお化けにまでしてしまったりする。ところが、この”バガボンド”武蔵は悩む。根本的な「何故?」を問う。
昔の形骸化した精神論は受け入れることが出来ないどころか、馬鹿馬鹿しくてお笑いの種にもならないが、その精神論の元にあった問に対して、何の答えを持っている訳ではないし、その問から逃れることが出来た訳でもない。これは当に今の時代そのものの状況であって、それが故に、この武蔵は非常に魅力的だ。問をパロディやナンセンスにしてかわすことで、答以前に問を無効化してしまえば、この世界は全てが無意味になる。その無意味さの蔓延が耐え難くなっている今だから、この武蔵が新鮮で共感出来るのだと思う。問の無意味さ、そして答の無意味さから逃れることは出来ない。ただその間の過程の運動だけに本質があり、その生の充実こそが追求されるべきものだ、というのがこの武蔵の魅力だと思う。現世的というか、そこがシバレン的なニヒリズムとの違いで、この”バガボンド”武蔵の新しさではないかと思う。