"Harry Potter and the half-blood prince"

Harry Potter and the Half-Blood Prince (Harry Potter 6) (US)

Harry Potter and the Half-Blood Prince (Harry Potter 6) (US)

 ダンブルドア校長、死んじゃったよ。ウソ、…。ロンが危ないかもしれないなあ、と思っていたけど、途中で死にかけたので、なんだと思っていたら、なんと、最強の人が、…。ついにスネイプも土壇場で本性むき出しにしてきたけど、まさか、ダンブルドアを手にかけるとは、…。彼が、「プリンス」だったとは、…。”A.R.B.”って、何者なんだろう?次が最終巻になるのかなあ。結局、この本ではVoldemortは直接登場しなかったけど、次は最終決戦だ。
 それにしても、ハリー・ポッターを巡る現象はすごいなあ。まず、世界中でほぼ同時に(翻訳のタイムラグだけ)読まれている。それから、数年遅れで映画化が原作の後を着実にシリーズとして続いている。しかも、ほぼ同じキャスト(映画もダンブルドア校長役が最初の1作くらいで死んじゃったんだっけ?ま、年だから不思議はないけど)。これはすごくイギリスっぽい話だと思うんだけど、それがこうして世界中で受け入れられているんだからなあ。やっぱり、英語だと翻訳も進みやすいし、映画化もすぐに決まりそうだ。でも、やはり、誰もが共感出来る普遍性があるから初めてここまで受け入れられるんだろうな。翻訳出来ないような物はダメ、と言うのも一つの真実だと思う。
 このシリーズ、考えてみれば、典型的なパターンをきちんと踏襲しているよねえ。主人公はみなし児で、両親は邪悪な敵に殺され、寄宿舎で友達と先生に囲まれ、ミステリーの要素はあるし、怪物は出てくるし、成長に従って様々なことも覚えていく。それに加えて、いかにも今っぽい要素もちゃんと入っているし、笑いもしっかり取る。仲良し三人組にはちゃんとハーマイオニちゃんという女の子も入っている。Muggleと純血というのも、ある種の人種差別問題で、現実の単純な比喩という意図はないかもしれないけど、「ああ、魔法使いの世界も我々マグルと同じような悩みがあるんだねえ」と思わざるを得ない。魔法使いも宿題しなければいけないし、テストもクリアしないと仕事にも就けない。こういうところが、やたらと書き込まれているんだよなあ。そうした細部に加えて、学校物という性格上、一年間のイベントがきっちり決まっていて、夏休みから学校への出発、遠足、クリスマス、クイディッチの試合、試験と毎年恒例のイベントがきっちり書き込まれる。パターンがあることで、今年はどうなるのかという楽しみが出てくる。本当に良くできてますよ、これは。