11/26 東京FILMeX 『フリー・ゾーン』

Israel, France, Spain, Belgium /2005/90min.
監督: アモス・ギタイ
出演: ナタリー・ポートマン、ハンナ・ラスロ、ヒヤム・アッバス

 今回、字幕がスクリーンの横に映写されたので、前の方の席はすごく見にくかったデスよ。あのイスラエル人女性とパレスチナ女性の再現もないうんざりする水掛論争というのが、当然政治的な比喩でもあるんだけれど、本当にきりがなくてうんざりした。最後に、ナタリー・ポートマン(=ユダヤアメリカ人)もうんざりして車から逃げ出したときには、思わずそこで拍手したくなったデスよ。その最後のエンディングのやりとりは、なかなか芸達者で見応えある。
 冒頭のナタリーポートマンの泣き顔アップ、死ぬほど長い。10分以上あるらしい。いくら何でも、これは長すぎるでしょう。マスカラが流れて顔に涙の流れた跡が残って、ああ、化粧こんなに濃いのか、とか、そんなことしか考えられなくなる。何故、ここがこんなに長いのかというと、後ろで流れている歌が長いから。『お父さんが硬貨2枚で飼った羊。お父さんが硬貨2枚で飼った羊を殺した猫。お父さんが硬貨2枚で飼った羊を殺した猫を殺した犬。お父さんが硬貨2枚で飼った羊を殺した猫を殺した犬を殺した雄牛。お父さんが硬貨2枚で飼った羊を殺した猫を殺した犬を殺した雄牛を殺した肉屋。………』殺し合いの連鎖はどこまで続くんだ?と、どんどん歌詞が長くなっていって、いつまでも終わらない恐ろしい歌なのだ。この歌が終わるまで泣いていろ!と言われたら、絶望の余り本当に涙が止まらなくなりそうな位延々と続く歌なのだ。中東ではよくあるパターンなのかもしれないけど。
 国境を越えるところとか、セットなのかな?本物のロケなのかな?車で国境越えたことないので、あそこは、へえ、これで越えられちゃうのか、という不思議な感じがした。それは国境というもの自体の奇妙さ。別に海や川がある訳でもない。何かの物理的な根拠がある訳でもない。一続きの土地に、こちらは俺たちの土地、ここから向こうはあいつらの土地、という虚構が最もらしく演じられ続けていることの不可思議。その不可思議というのは、権力の暴力としか思えない。
 はっきり言って、繰り返しや緩慢さや話の見えないところや話が進まないところは、かなりうんざりするのだけど、それは中東の状況そのもので、ああいう歌を聴いていると、果てしなき繰り返しというのは中東の文化そのものではないのだろうかとも思えてくる。アモス・ギタイって、確かに才能はあると思うけど、文化的なギャップなのか、嗜好的なレベルの問題なのか、私の知識の問題なのか、よく分からないけど、のめり込めないデスよ。