またの日の知華 監督:原一男

  • 公式ホームページ:http://www.shisso.com/chika/
  • 久しぶりに、週末2本映画見るなあ〜。こういう”暗さ”も久しぶりに見たなあ。
  • 主人公の知華を4人1役(谷口知華A 吉本多香美、谷口知華B 渡辺真起子、谷口知華C 金久美子、谷口知華D 桃井かおり)で演じる。ブニュエルで2人1役というのはあったけど、あれはボケッと見ていると気がつかないのがミソだけど、これは誰が見ても気がつくので、連作短編のような感じと考えるのが正しいのかもしれない。でも、ストーリーは続いているので、すごく変な感じ。Aで生まれた子供がDでは小学生になっている。ホームページによれば、知華Aは1971年生まれ、知華Dは1952年生まれ。知華Aが子供を生んでから7,8歳になるまでの間に、33歳から52歳まで19歳も年を取っている計算になる。これは多分計算の上なのだと思う。ストーリーが進むにつれて、体操のオリンピック候補選手から、体育教師、病気の旦那持ち、不倫、教師を辞めて商売始めるが失敗、借金取りに追われて水商売、場末の飲み屋で体を売る日々、その末、男に刺されて夕日が落ちようとする海に引きずられていく。。。と、これでもか、これでもか、という暗い話なのだが、その過酷な苦労が刻む年と思うと、確かに33歳から52歳、という感じで、どんどん女優が変わっていくのは変な感じもあるのだが、内容的には妙に説得力がある。と言ったら、桃井かおり様に失礼か?清純派、性格きつそうな先生、さばさばしたおばさん、ルーズな(?)おばさん、と、どんどんキャラクターが変わっていく。そのストーリーに、安保闘争、東大闘争、あさま山荘事件、連続企業爆破事件のドキュメンタリーが入る。これでもか、これでもか、と時代の情念が映画の中を通り過ぎていく。
  • で、何だったのだろう?原一男監督というと、”これでもか、これでもか”で、目をそらさない、カメラを止めない、という人であるが、劇映画となると、何だか、団塊の世代のウザイ情念のこもった説教を聞かされたような気もする。何故、ここまで不幸に、不幸に、落ちていく話を作ったのだろう。そこで、主人公が力強く自由になっていく姿・生き方を訴えたかった、って言うなら、最初から最後まで一人の女優でやるべきでは?女は変わっていくんだよ、と言うなら、一人の女優が変わっていくところを演出するのが劇映画の監督では?それぞれの時期にはまり役の女優をキャストして、リアリズムを追求する、ってそれは、監督としての演出放棄じゃないの?始めての劇映画と気負って、4人1役というこざかしい仕掛けをしてしまったのだろうか?世代のギャップだ、お前には分からんと言われれば、その通りだけど、それ言ったらお終いだよな。
  • とああだこうだ言っても、この低予算でも、一つ一つのショットにはさすがに力がこもっていて、見ていて疲れるけど、最後まで引っ張って見せられたのも事実。