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「大菩薩峠 完結編」(1961) 98 分
- 公開年月 1961/05/17
- 監督: 森一生
- 製作: 永田雅一
- 企画: 久保寺生郎 南里金春
- 原作: 中里介山
- 脚本: 衣笠貞之助
- 撮影: 本多省三
- 美術: 西岡善信
- 音楽: 塚原哲夫
- 出演:
- ついに全編見てしまった。見てしまったからには書かねばなるまい。書くというなら斬らねばなるまい。
- これは無体な。「完結編」のDVDのケースには、”三隅研次監督”とあるが、これは真っ赤な嘘偽り。見たものなら、誰でも最初の15秒で分かるであろう、これが三隅の映画ではないことは。外連に過ぎぬクレーン撮影と、パンフレーム。一目で分かる、これが三隅の映画でないことは。隅々まで通わぬ美意識、セット一つ一つに感じられぬあの端正な美しさ。いかにも、拙者、これが森一生の映画であることは、端から百も承知。承知の上でこの度の見物馳せ参じた。しかし、これはあまりに、あまりに無体な出来映え、堪忍ならん。
- お松、お松、お松や、どこへ行った!冨士子殿、冨士子殿、何処に!
- 斬られた腕が飛んだり、喉仏を突き刺す槍など、「竜神の巻」までの二編においては、思いもつかぬ。むしろ、いささか剣術を見せ場とする時代劇にしては、あまりにおっとりした手並み、嫌な胸騒ぎがしたのも偽りのないところ。
- 偽り無く申せば、拙者は数年にわたってこの三部作通じての鑑賞を望んでいたものの、話の子細を殆ど覚えていなかったのも、恥ずかしながら真である(爆)。それでも、三部まで全巻通して拝見したいとの一念だけは固く持ち続けてきた。本日、全巻通じて見て、何故ゆえ、拙者がそう望んでいたか、得心いった。一部の最後は宿敵宇津木兵馬との決戦、二部の最後もまた宇津木兵馬との決戦。しかし、いずれも最後は決戦の斬り合いではなく、さあ、これから決戦というところで”終”の文字が。さあ、どうなるのだと次の巻を紐解けば、既に勝負は曖昧なまま終わり、竜之介は霧に紛れ、あるいは崖崩れとともに谷底へと去っている。そして、またもや中村玉緒の元へと身を寄せておるではないか?解せん。何とも一向に得心ゆかぬ。
- 完結編の最後のシーンは、家が大水で流されその屋根に残った竜之介も大水に運ばれ去っていくなど、「8時だよ、全員集合」と見まごうばかり。
- むしろ、「竜神の巻」までの水も漏らさぬ演出とは何だったのか?そして、何故完結編だけ森一生なのか?衣笠貞之助の脚本は責めを負うべきか?プログラム・ピクチャー・システムの限界をここに見るべきなのか?
- 私の「大菩薩峠」は、未だ、そして永遠にこれからも「竜神の巻」で止まったままの未完の傑作である。
- 「大菩薩峠」自体が、原作からしてこういういい加減な話らしいが。しかも、滅法面白いらしい。なんて迷惑な!
「亡国のイージス」
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