「目まいのする散歩」武田泰淳

目まいのする散歩 (中公文庫)

目まいのする散歩 (中公文庫)

  • 今読むと、何だかBlogっぽい。”笑い男の散歩”とか”あぶない散歩”(探偵ファイルじゃないっつうの)なんて、そのままいける。この不思議な自意識過剰とそれを捉えて文章に定着させる冷静な視線。無茶苦茶おもしろい。
  • 目まいのする散歩
私は、ひそかに「ことによったら乃木将軍のような人が歩いている。さすがは明治神宮だな」とささやき合っている、と推察してすぐさま、そんな想像は良くないと打ち消していた。
    • 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、こういうことを考えているのが人間だ。「別のことを考えずに、考えることは出来ない」と言うセリフが、ゴダールの『愛の世紀』にあったが、何故、無駄なことを我々は考えずにいられないのだろう。しかし、普通の文章はそうではない。そのときに考えたことをそのまま書くわけではない。我々は自分の考えを検閲しながら、枝葉を切り落とし、関係ないものを削除しようとする。さもないと、何を言っているのか分からない文章になるからだ。しかし、ここでこの散歩者は我々の頭の中で起こっていることを、そのままシミュレーションしようとしているかのようだ。そこにいる私、そこで相手の表情から相手の考えていることを想像している私、そして、それを小説ともエッセイともつかないものに書いている私、それを読んでいる読者は、まさにこの合わせ鏡に目眩を覚えずにはいられない。
通行人は誰もそのビラを見ようとはしなかった。「憂国忌」という激しい主張よりも、スモッグに満ちた空気の流れは速いらしかった。
    • 三島です。
日本のポルノ映画で、靖国神社に集まった戦友会の人物の一人が、近所の旅館で女とたわむれる情景があった。男が満足しないうちに、女は彼を離れて次のお客さんを迎えるために出て行く。そのいかにも騒がしい性急な出会いが靖国神社という場所と奇妙によく似合っていた。
    • 軍人さんだから?分かったような、分からないような、…。素敵に非国民。
日本沈没」という東宝映画を見た。その映画のストオリイでは、皇居付近の避難民が、厳重に閉じられた御門の一つに殺到するところがある(将来、起こるであろう大震災の際の、赤坂見附の住民の避難場所は、霞ヶ関国会議事堂の辺りに指定されている)。
女房は「笑ったような顔をしてるけど、本当はそうじゃあなくて、ただ、そう言う顔をしているのね」と名言を吐いた。
    • 百合子様、面白いです。
「あとをつけてくるなら、こっちも遊んでいるふりをして困らせてやろう。ヤポンスキー政府の下っ端かもしれない。それにしてもまずい変装だな。つけひげなんかつけやがって」と、にせものの尾行者のもうろうたる頭の中で、彼らの会話は続いていた。
    • 先生、電波出てます!