さすらい (1957) IL GRIDO 102 分 製作国 イタリア

さすらい [DVD]

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  • 夜中に一人で酒を飲みながら、しみじみDVDで見た。ヴィム・ヴェンダースとの共作『愛のめぐりあい』もあったけど、彼も同じ邦題の映画や『都会のアリス』なんかでやりたかったのはこれなんだろうなあ、と思った。心理描写をしないリアリズムの映画で、今にしてみると普通に見てしまうけれど、当時にしてみるとこんなに説明しない映画というのは殆ど『不条理』みたいなものだったのでは。まず、アリダ・ヴァリの別の男というのが全然画面に出てこないし、そこについては、もうあなたとは暮らせないの一点張りで追い出されてしまう。好きな男が別に出来たから、と言えば、それはそうかもしれないけど、そこについて説得力を与えるようなシーンはほとんどない。アリダ・ヴァリとスティーブ・コクランではもう、これは当然という感じもするのだが、このあたりの演出って、DVDの解説に『前夫人に”もうあなたを愛していない”と言われて、愛の不毛に直面してアントニオーニは”愛の不毛三部作”を作ることになる』と言うようなことが書いてあったけど、なんかその辺は本当に不毛だという気がしなくもない。それだけで映画を三本も作ってしまう男なら、『愛していない』と言いたくなる気も分からないではないような気もするが、それはその結果出来た映画をどう評価するか次第かもしれなくて、余計なお世話ではある。最後に行くところがなくなって、一人で帰ってきて、アリダ・ヴァリの目の前で投身自殺してしまうところも、何とも言えず悲しいが、もう嫌になったから死ぬと言えばそれまでだよな。解説に、このころはイタリアではカトリックゆえ離婚が認められていなかった、というのを知って驚いたし、それじゃあしょうがないよな、と思いもする。
  • 見どころ的には、最初と最後よりもその間の娘一人手を引きながらのヒッチハイクでの放浪の切ないところ。霧と雨と泥濘に包まれた北部イタリアの田舎の川沿いの小屋に暮らす元婚約者、ガソリンスタンドの未亡人、『病人います』の旗を掲げる娼婦とさすらうところ。画面からじとじとと伝わってくる湿気が何とも言えない。今の若い人的には、訳分からない暗い映画、で終わっちゃうんだろうか。でも、訳分かるように演出したら、もっと陰々滅々になっちゃうだろうな。どうしようもなく暗い話なんだけど、それを突き放してドライにやっているところが、今に見てみると逆に新鮮と言うか、だから見られるんだと思う。
  • イタリアでリアリズムと言えば、まず戦後のネオリアリズモでロッセリーニなどが来るんだけど、1957年のアントニオーニの立場は社会的か?というと、共産党や空港開設反対などの運動が背景としては出てくるし、彼自身も共産党員だったし、社会から目を背けているとは思わないのだが、内面や個人に向かっている。社会的なリアリズムと言うより、個人的なリアリズム=実存主義ということなのだろうか。