「21世紀の歴史――未来の人類から見た世界」: ジャック・アタリ 読書ノート(2)
- 作者: ジャック・アタリ,林昌宏
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2008/08/30
- メディア: 単行本
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第2章「資本主義は、いかなる歴史を作ってきたのか?」では、市場経済が、ブルージュ、ヴェネチア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロスアンジェルスと9つの「中心都市」を経て変遷してきた様が辿られる。
つまり、アジアでは、自らの欲望から自由になることを望む一方で、西洋では、欲望を実現するための自由を手に入れることを望んだのである。言い換えれば、世界を幻想と捉えることを選択するか、世界を行動と幸福を実現する唯一の場であると捉えるかの選択である。すなわち、魂の輪廻転生か、それとも魂の救済かという選択である。(p.49)
まあ、極論すれば、確かにそういうところはある。そう言われると、ガイジンが、何であんなに堂々と強欲なこと言えるのか、分かったような気がする。
これまでに様々な形式の「中心都市」が誕生したが、いずれの都市も過剰な出費により衰退し、競争相手となった都市にその座を譲ってきた。一般的に、次の「中心都市」となる都市は、「中心都市」に攻撃を仕掛けた都市ではなく、この戦いの間に、これまでとは違った文化・成長原理を持った都市であり、これまでとは違ったクリエーター階級が、新たに自由・資金・エネルギー・情報源を持ち込んで、従来のサービスを新たな大量生産の製品に置き換えた都市である。(p.63)
彼の言う「中心都市」というのは、海運業者・起業家・商人・技術者・金融業者が集まり、新たな価値を生み出し、国際的市場のルールを決め、資本の蓄積を行う都市、ということである。そりゃ、戦争してたら、当事者以外の所に逃げるしかない。
ヴェネチアは、ブルージュやその後の「中心都市」と同様に、技術革新の中心地ではなかった。すなわち、「中心都市」は発明の現場となるのではなく、発明されたものを見つけ出し、これをコピーして他のアイディアに応用する場所なのである。(p.71)
シュンペーターの言うイノベーション(インベンションではない)ということ。
1803年、イギリスではフランスの来襲に備えているとき、ナポレオンはフランスを戦時経済に改革し、ルイジアナを1500万ドルでアメリカに売却した。同年、ナポレオンはアメリカ人技術者ロバート・フルトンが提案した蒸気機関船を、軍事用途がないとして、その採用を却下した。(p.95)
今の時代から振り返れば笑ってしまうような話だけど、そのときにはこういう判断もありだった。翻って考えると、しみじみ怖いと思う。
金融の中心地としての破綻は、「中心都市」の終焉を告げる。(p.99)
やっぱり、これからは中国なんだろうね。
十七世紀から、イギリスからアメリカに渡ったピューリタンのグループは、物質的に成功する者は天国への切符を手に入れた神に選ばれた者たちである、と宣言した。言い換えれば、儲けることは高貴な行為であり、さらに、金持ちであると自慢することは、道徳的に立派な行為でさえあるということである。(p.101)
今これを読むと、改めて金融危機の問題は根が深いと思う。
ある技術革新が一般化するまでには、たとえそれが社会的に必要とされているものであるとしても、約半世紀の月日が必要である。(p.107)
やっぱり、世代が入れ替わらないとダメというのはあると思う。テレビと電話はやはり例外だろう。PCやネットもそうかもしれない。
テクノロジーは金融サービスを産業化させた。つまり、銀行は市場で自動的にさや取り売買を実行し、瞬時に無数の金融取引を実行できるようになったのである。(p.116)
だから、シリコンヴァレーじゃなくてロスアンジェルスが「中心都市」。
インターネットは金融サービスの発展もうながした。アメリカの金融経済と実物経済の開きは、一九七〇年に二倍であったが、インターネットの発達により二〇〇六年には五〇倍にまで広がった。ちなみに、1997年では3.5倍であった国際貿易総額に占める国際金融取引額の割合は、2006年には80倍にまで膨らんだ。このことは、年間の国際貿易総額は、通貨、有価証券、各種オプション取引の市場における取引の三,四日分を占めるにすぎないことを意味する。(p.121)
グロテスクとしか言いようがない。
こうしてアメリカは、国内の安全対策にかかる費用と、アメリカがこうした事態に対する責任があると見なす外国にいる敵を攻撃するために必要な安全保障上の費用を増額しなければならなくなった。・・・九番目の形式もまた、「中心都市」の防衛費用がその存続を危うくしているのである。(p.133)