「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」@国立西洋美術館


 天気も良いので上野の国立西洋美術館へ。秋晴れの空が気持ちよい。

 世界遺産候補の前でジョジョ立ちしている彫刻が。

 「考える人」は背中にカラスが止まっても気がつかないようだ。気がついてしまったら気がついてしまったで、どうして良いのか、こちらもビビると思うが。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、生前にヨーロッパで高い評価を得た、デンマークを代表する作家の一人です。没後、急速に忘れ去られましたが近年、再び脚光を浴びています。ハンマースホイの作品は17世紀オランダ絵画の強い影響を受け、フェルメールを思わせる静謐な室内表現を特徴としています。室内画の舞台は自宅であり、登場人物として妻のイーダが後姿で繰り返し描かれました。イーダの後姿は、我々を画中へと導いてくれるのですが、同時に、陰鬱な室内と彼女の背中によって、我々は「招かざる客」かのような拒絶感も覚えることとなります。しかしながら、ハンマースホイの室内画が決して居心地が悪いというわけでありません。モノトーンを基調とした静寂な絵画空間が綿密に構成されているためでしょう。まるで音のない世界に包まれているような感覚に浸れるのです。
国立西洋美術館
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 誰もいない扉の開かれた部屋の絵のポスターを見て、なんかベルイマンの「ペルソナ」みたいだなあ、と心引かれて、見たくなった。全然予備知識はなかったけど、なかなか良かった。「カール・ドライヤーの映画におけるハンマースホイの影響」なんていう講演会も行われていたみたいだし、まあ、ベルイマンにおけるドライヤーの影響なんてことだってよく言われることだから、まあ、そんなに間違った印象じゃないだろう。ミニマルで静かな、でも徹底した美意識の絵。シューゲイザーエレクトロニカみたいな世界が好きな人ははまるかもしれない。NHK教育でも、11月16日(日)に朝9時〜10時と夜8時〜9時(再放送)に「ハンマースホイ 静謐なるまなざし」として紹介されるそうだ。展覧会のHPノリノリで気合い入ってるなあ。展示会でもやっていたけど、この3D良くできている。まあ、すぐそばでフェルメール展やっている訳で、その隣の「北欧のフェルメール」見に行くのもかなりひねくれている人だけかもしれないけど。でも、写真や図版でさんざん見ているフェルメールの「本物」を見に行くよりもずっと発見があったと思うし、面白かった。フェルメール展入場40分待ち、と上野駅の構内の入場券発売所には出ていて、もう、これで嫌になったというのも正直なところだけれど。
 ベルイマンとかドライヤーで、云々、と言うところで思ったけど、これって北欧の光がこういう光だ、と言うだけの話の部分もあるのかもしれないな。広々としていて清潔で澄んだ空気。寒そうだけど。普通にこれを見ると、メランコリー=欝と言いたくなるけど、これが日常という世界もあるんではないだろうか。そこの感覚が北欧なんて行ったことない自分にはピンとこない。
 でも、こうして大規模に構成された回顧展を見ると、やはり唖然とする。とにかく同じ主題、同じ場所、同じ風景を執拗に何度も何度も繰り返し描いている作家なのだ。宮殿、自宅の室内、妻の後ろ姿、そんなものを何度も何度も描く。その何枚もの絵の微妙なトーンや構図、色彩の調整。主題を求めたのではなく、自分の絵、自分の絵画のスタイル、をとことん追求した人なのだ。
 何枚も書かれているクレスチャンスボー宮殿の絵には、人が一人も出てこない。風景画とはいえ、人っ子一人いない。まるで水爆でも落としたかのように人っ子一人いない。室内画を描かせると、ピアノの脚が2本で、後ろは壁にめり込んでいたりする。テーブルの脚の影は訳のわからない方向にばらばらに伸びていたりする。ドアの取っ手もしばしば省略されている。邪魔なものはいらない。無駄はいらない。解説のテープを借りて聴きながら回ったのだけど、これを聞きながらでないと気がつかないような変なことをいろいろやっている。気づくとすごく不気味。
 人物を描いた絵は割に少ない画家なのだけど、その人物を描いた絵というのがまたすごい。妹とか妻とか身近な人物がほとんどなのだけれど、青ざめた幽霊のよう。世紀末の不安、というには、毅然とした美意識のスタンスが貫かれているし、欝というにはタッチは柔らかくどこか不思議と軽やかだし、構図にもリズムがある。動きはないが、何かが動いた後はあるとでも言うような。人は描かれていないが、描かれたドアは開け放たれており、誰かがそこを通り過ぎていった痕跡は確かにある。象徴と言うには、あまりに漠然としているが、具象と言うにはあまりに整理されすぎている。
 こういう何とも言いようがない絵は見るしかない。見て戸惑うしかない。面白かった。