TOKYO!

TOKYO!(2008年、110分、フランス/日本/韓国、ビターズ・エンド)
「インテリア・デザイン」
監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:藤谷文子加瀬亮伊藤歩妻夫木聡大森南朋、でんでん
「メルド」
監督:レオス・カラックス
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
出演:ドニ・ラヴァン、ジャン=フランソワ・バルメ、石橋蓮司北見敏之嶋田久作
「シェイキング東京」
監督:ポン・ジュノ
出演:香川照之蒼井優竹中直人荒川良々山本浩司松重豊

映画「TOKYO!」
 やっぱり、レオス・カラックスすげー。ドニ・ラヴァンのMERDI(フランス語で糞という意味)がよろよろと銀座を走りながら、人の煙草を取り上げるわ、花や紙幣は食べるわ、女子高生舐めるわ、久しぶりに理解不能なものを見た。あの傍若無人なパンクっぷりに痺れた。
 監督自身の言葉に依れば、「ゴジラ」と「東京裁判」を意識したとのこと。まあ、最後は、当然大島渚の「絞首刑」だろう。それから、これも当然、ルイ・フイヤードの活劇も意識してるんだろう(といっても、あんまりこれは詳しくないけど)。
 なんにせよ、これはセリーヌのフランスのカラックスらしく、日本への罵詈雑言と言えなくもない。「日本人は長生きしすぎ」とか、要は、日本人は清潔すぎる、真面目すぎる、という彼のフランス人らしい不満、というか、正直な不平(そう、不平というレベルだ)が満ちていて、むっとするよりも、そこの率直さを示してくれたことに彼の日本への誠実さを感じた。なので、こちらも誠実に言い返すと、フランス人は体臭きつすぎ、自己主張しすぎ、屁理屈いいすぎ。そういう率直な異文化交流が出来るし必要な時代だよなあ、と思った。
 いずれにせよ、自分の分身ドニ・ラヴァンを汚物として東京に投げ込みたい、という彼の意図が面白かった。ドニ・ラヴァンが、こちらも良く知った五反田、銀座、渋谷の各所に出没するのを見ていると、すごくワクワクした。
 あのMERDI語、タモリにも出て貰えば良かったのになァ。律儀にフランス語、日本語、MERDI語繰り返すのが面白い。少なくとも、あのMERDI語は全ての人にとって理解不能の言葉だ。このわけの分からない言葉を聞かなければいけないというプロセス、これをはしょらないのが、フランス人、カラックス。あそこは面白かった。全員、フランス語は分かる設定にしても、自分勝手にはありな訳だし。
 まあ、なんにせよ、獄中でも花しか食べないって、すごい詩人だよねえ。食べるものは花とお金。これだよな。
 最初のミシェル・ゴンドリーの「インテリア・デザイン」は面白いんだけど、バランス悪すぎ。ずーっと、田舎から出てきた自主上映映画のカップルの貧乏・苦労話で、これをフランス人が取っているというのは、しかもそのフランス人があのPV一の売れっ子ミシェル・ゴンドリーというのは、ふ〜ん、なんだこれ、でもだらだらしてんなあ〜、という感じだったのだけど、藤谷文子が椅子になるあたりからもう別次元の面白さ、訳分からなさ。もう、これ、5分くらいで椅子になっちゃえよ。そこから後の話にした方が全然面白いぞ。特に、変身途中で、胸に穴が空いて棒が何本か生えてるところとか、足が椅子の脚になってくるとことか、CGだろうとは思うけど、かなりの衝撃度。それから、椅子になって服を取られちゃうとことか、サービス忘れないのも、まあ、何だ、偉いぞ、うん。その椅子になるとこから話作っても十分面白いのにな。普通そうするだろ。それが、えんえん苦労話やってこの展開。そこまでの苦労話も、フランス人が監督したとは思えない、というか、違和感なくて驚いた。外人が取った日本映画というと、まあ、オッサンとしては、一番最初に頭に浮かぶのは、どうしたってアラン・レネの「24時間の情事」で、セリフとか違和感ありまくりだったんだけど、これは、逆にフランス人の監督が撮ったと思ってみると、違和感が無さ過ぎて違和感ありまくりかも。その辺のグローバル・スタンダードなのかなんなのか、フランス人が東京で映画を撮ることに何も感覚的なギャップなどありはしない時代になったのだなあ、と思わされた。むしろ、ギャップを感じたのは、PV的な音楽の世界の感覚と映画の世界の感覚。映画的な構想力をこの人が身につけたらかなり面白いかな、と思う。PVの人という気はやはりするけど、あの藤谷文子の変身の異様さ、あの画面の感覚はなかなかのものだと思う。あんまり芸術、芸術しない方向で映画の撮り方覚えてくれると、この人は面白い。
 ポン・ジュノの「シェイキング東京」、やっぱり感覚がアジア人は繊細だなあ。引き籠もりの10年間を下駄箱から取り出したスニーカーの蜘蛛で示してみせるところとか、こういう細部への感覚というのは、良いんだか悪いんだか、とにかく感覚が前の2人とは違うんだなあ、というのをあそこで端的に感じた。でも、これは、もう、蒼井優ちゃんに尽きます。私も優ちゃんのLOVEボタン押しまくりたいです。こっちの方がツボ押されまくりです。でも、前の2人のフランス人は蒼井優ちゃんを絶対ヒロインに選ばないと思う。多分、フランス人の目から見るとロリロリ過ぎなんだと思う。そういう女の趣味とか感覚って、映画って露骨に出ます。まあ、デビュー時のジュリエット・ビノシュだって、フランス人的にはもう思いっきりロリータなんだろうけど。
 ポン・ジュノミシェル・ゴンドリーも、そういう人間のロボット化・モノ化の舞台として東京を描いているのが、まあ、ある意味ステレオタイプからの発想なのかな。テーマ曲もHASYMO=YMOだし。その中で、自分目線で言いたいこといいまくってるカラックス、最高だった。これだけインターバルが空くと、腐っていないか?心配にもなるのだけれど、相変わらずで、腐っているから撮れないのではなくて、撮れないから撮れないのだ、ということが良く分かって、ある意味ほっとしたり、誰かなんとかしてやれ!と思ったり。