越境するマンガ

http://wiredvision.jp/news/200808/2008080521.html
 アメリカ人が少女マンガを書く時代になったか。なかなか感慨深い話だと思う。
 考えてみれば、夏目漱石だとか森鴎外だとか、そういう人の時代には、そもそも小説というのが外国から入ってきたものという感覚だったはずだ。江戸時代には物語はあっても、近代的な意味での小説なんて無かったわけで、彼らがやろうとして描いたイメージは海外の小説のようなものを日本語でやりたいということだったわけだ。そもそも、言文一致なんてことが問題になる時代だったのだから。
 宇多田ヒカルローリン・ヒルに、「なぜ、あんた日本人なのにR&Bなんかやるのよ?」と言われたという話を聞いたことあるけど、夏目漱石から宇多田ヒカルまでの歴史が逆転しようとしている訳だ。
 もちろん、アメリカにはアメコミというものがあるわけだけど、ちょうど江戸時代の物語や狂歌なんかのレベルで、人間が真剣に描かれるようなものではなく、ただの娯楽というレベルだろう。複雑なストーリーやテーマがあるわけではない。ちょうど、日本の近代文学の始祖のようなことをしようとしているのかもしれない。でも、舞台も登場人物も日本人ということは、その一歩手前の模倣という段階なのかな。日本の少女マンガのスタイルを元にして、それをアメリカで展開しようとするような人も今後出てくるのだろうか?
 マンガはアニメ含めて世界的に認知されつつあると思うが、理解されるなら、そういうものも今後出てくるということなのだろう。面白い時代になったものだ。