「変貌する資本主義 パタゴニア創業者 イヴォン・シュイナード『株主は地球なんだ。うん。いい言葉だろ』」:週刊東洋経済6月9日号

 カリフォルニアのアウトドア衣料メーカー・パタゴニア社は年間売り上げ325億円程度の規模にもかかわらず、『フォーチュン』誌の優良企業ベスト100にも取り上げられる。「ビジネスを手段として環境危機を解決する」と言うのが彼らのミッションで、リサイクルや有機農法は勿論、売上高の1%を環境保護団体に寄付しているのだという。

−しかし、パタゴニア非営利団体ではありません。御社にとって「利益」とはなんですか?
 もちろん利益は出さなければいけない。そうでなければ、他の会社に示すものがない。つまり、私たちが、どれだけ熱心に環境活動に取り組んでいても、利益を出していなければ単なるお遊び。誰にも見向きもされないだろう。他の企業の先頭に立って、影響を与えたいと願う以上、利益はやはり必要なんだ。

 格好良すぎないか?とも思うし、実際にどうなんだろう?とも、記事を読んだだけでは、思うのだが、これは本物かもしれないな、という直感がする。
 普通の会社がやろうと思えば、ここまでできる、ということを示せれば、それがブランドにもなるだろうし、現実的にできることを示せれば、他の会社だって何も考えない訳にはいかなくなるだろう。
 それでも、企業活動により直接・間接に生じている環境破壊を十分に補償するものになっているのだろうか?どれだけのことをしなければいけないのだろうか?それを評価すること自体がとてつもなく難しいことだ。
 材料の繊維が作られる綿畑、そこでの農作業、工場への輸送、工場での製造、製品の輸送、細かく見ていけばきりがない。一つ一つの過程でエネルギーが使われ、環境への付加がかかっている。多分、どんなに環境に配慮しても、何か経済的な活動を行えば、環境への収支はマイナスだろう。普通に行えばマイナス100なのがマイナス60になるくらいのことしかできないのかもしれない。それを持って良しとするのか。
 そこまで考えると、人間が生きていること自体が環境破壊だということになる。地球は、一体どれだけの人間の営みを許容できるのだろうか。そもそも、これは解決できる問題なのだろうか。100歳の寿命を100歳と1時間にするくらいのことでしかないのだろうか。

−株式公開しないのは、常に成長拡大ばかりを求められるから?
 そうだ。毎年15%の成長を求められるのではたまらない。私たちの株主は地球であるとでも言っておこうか。

 アメリカはこういう変わり者が結構いる。そこが素晴らしいところだ。99%はうんざりするようなことばかりでも。
 当然、オーナーが所有する企業だからできることだろう。もし、株式公開したら、こういう活動を疎ましく思う資本に介入されかねない。株式市場、現在の資本主義経済には、環境問題を解決する能力はない、ということだ。CO2排出権市場のような現在のフレームワークの中の取り組みでどれだけのことができるのだろうか。下手をすると、CO2排出権市場自体の崩壊ということだってあるだろう。それで実体経済が直接即壊滅的影響を受けるわけでもないだろう。

 つまり、経済などというものは、実体のないものに支えられた非常にもろいものという気がしている。

 こういう事は、確かなものを持っている人でないと言えないような気がする。
 価値というのは主観的なものでしかないのに、それを数字にすることの怖さなのだと思う。主観的なものである以上、そのTシャツの値段など所詮は言い値に過ぎない。それが市場のメカニズムやらなんやらで合理的なものである化のように扱うところから経済の話は始まっている。それが、一度数字で議論が始まると、こう考えるしかないのだ、というかのような話になってしまう。その議論の中では、価値というのは貨幣に換算されたことになってしまう。もっと恐ろしいのは、そのレベルの議論からは、何も新しい価値など生まれてきそうにないことだ。すべてが数値化されれば、後はその分配のバランスをめぐる議論しか残されていない。

 一度、ここの直営店を覗いてみようと思う。日本にも、渋谷など9店舗があるらしい。
Patagonia Outdoor Clothing & Gear