2020年、バーチャルリアリティ中毒が問題に?

2020年、バーチャルリアリティ中毒が問題に? - ITmedia NEWS
こういうタイトルのつけ方はいかがなものか、という気がするけどな。

# 世界のネットワークの相互運用性は完ぺきになり、データフロー、認証、課金がスムーズになる。モバイル通信が世界のどこでも誰でも非常に低コストで使えるようになる。

インターネットのような自分で無際限に増殖していくような仕組みのシステムに「完ぺき」というのはないとも思うし、それを持って最初から「完ぺき」だったということもできるかもしれない。また、何を持って「完ぺき」と言うのか、要求されるスペックや機能も変わってくるだろう。しかし、ニーズが強まれば、それに答えようという動きが当然起こる。だから、楽観的であるべきだと思う。最後は楽観的な考えが勝利を手にするだろう。その過程がどんなものであれ、どれだけ時間がかかろうと。もし、その流れにあらがうものがあるとすれば、それは技術よりも、政治や宗教などの非技術的な外部の要因だろう。中国の検閲とか、法規制の問題だ。しかし、それが大きな自然な流れを完全に止めることができるとは思えない。

# 世界の平準化により、英語がほかの言語に取って代わる。

 英語よりもスペイン語スペイン語よりも中国語を話す人口が多くなるだろう。だからといって、それが(特に)ネット上の標準言語になるとは思えない。英語が他の言語にとって代わるのではなく、他の言語が流入したりして、英語が変化していくということだって実際には世界中で起こっている。英語は今のままの英語として存在できるか?という問題設定だってあるはずだ。多分、実際にはこうしたすべてが同時に起きていくはずだ。それと、自分の実感としては、英語のホームページを見る量が10年前より減っている。個人的な事情もいろいろあるが、一つの国もしくは言語圏の中でも、処理しきれない情報量があるのだし、それは当然のことだと思う。これは、アメリカ人の勝手な希望だと思う。
 それと、自動翻訳がどこまで進歩するのか?というのも、重要だ。それなりに使える様にはなってきているし、自動翻訳のレベルが上がれば、ネットもリアルも、大きな変化が起こるかもしれない。

# 知性を持った技術や分散制御により、監視やセキュリティシステムでは完全に人間の直接の介入が不要になる。このため、人間が制御しきれない技術が、気付かないうちに危険や依存を生むことになる。

 まあ、かなりそうなっているような気がするけど。でもロボット刑事があっという間にテロリストを逮捕してくれる、というのもありえないし。一番危険なのは、相変わらず人間だろうけど。バーチャルに閉じた世界の中では、そういう状況がますます進行するのは間違いないと思う。

# 技術の向上と低価格化で、個人の「公と私」の区別がなくなっていく。透明性が高まることによるメリットは、プライバシー上のデメリットよりも大きくなる。

 これはだんだんそうなってきているし、重要な設問だと思う。プライバシーを見せるのは嫌だが、恥ずかしいという以上のデメリットって、お金と安全にかかわる個人情報以外は、そんなに深刻ではない。ということが、だんだんはっきりしてきたと思う。でなきゃ、Mixiがあんなに流行らないでしょう。田中康夫の「ペログリ日記」みたいなブログもいっぱいあるだろうし。逆に匿名のネット上のパーソナリティーというのも、自分の一部になっているわけだし。公と私というだけではなく、匿名かどうか、という問題が絡んでくると思う。それから、自分の中でどこに公私の線を引くか。それは人にもよるだろう。

# インターネット上のバーチャルリアリティが、「現実世界」で働くよりも高い生産性を引き出すようになるが、仮想世界の魅力から深刻な「バーチャルリアリティ中毒」問題が起きる。

 中毒が問題になるようなら、生産性も結局上がらないのかもしれない。でも、中毒になる位でないと、生産性も上がらないのかもしれない。ネットはネットでもうひとつの現実だと思うし。
 多分、これは最近IBMなどが言っているオンラインゲームのようなバーチャル空間での仕事という考え方なのだろう。嫌な奴の顔は見なくて済むし、いろいろメリットはあるかもしれないけど、当然、それで済む仕事がすべてではない。でも、それで済んでしまうことも、思っている以上にたくさんあるだろう。
 中毒なのか、新しいスタイルなのか。隣の人とメールでコミュニケーションするのだって、メモを残すという意味ではもう良くある話だしな。話していて、「あ、それメールで送って」と話しながら、目の前の人にメールで送ったりするのって良くあることだ。もう、リアル対バーチャルというより、リアル&バーチャルで、我々は2つの世界に生きているという方が実感に一致する。

# 進化する情報技術に取り残された人々が、現代社会から離れ、そうした「テクノロジー拒否者」が新たな文化集団を形成する。情報過多からの癒しを求めてそうする人もいれば、テクノロジーへの抵抗のためにテロや暴力に走る人も出てくるだろう。

 これはある程度あると思うが、動物保護とか環境保護のようなムーブメントにまでなるだろうか?そもそも、こうしたテクノロジー拒否が運動として広がるとしたら、インターネットで活動を行うのだろうか?いずれにせよ、人間の大勢は、便利な方に流れる。反ITのテロや暴力の矛先はどこに向かうのだろうか。ネットテロとして、コンピューターウィルスを作ってばらまく?マイクロソフトの前で抗議デモを行う?抵抗や暴力をどこに向ければ良いのか、まるではっきりしない。むしろ、個人的・内省的な方向に向かうのではないだろうか。大体、パソコン使わなければいいというだけの話だと思うけれど。