「アメリカ、家族のいる風景」監督:Wim Wenders

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 「ことの次第」と「パリ・テキサス」をカウボーイを主人公にして、喜劇として繰り返した、と纏めてしまうとなんだけど、良かった。「ことの次第」や「パリ・テキサス」みたいなキチガイじみた傑作というわけではないけれど、今のWendersらしい映画だと思う。サム・シェパードジェシカ・ラングが素晴らしい。最近のヴェンダースのベスト。
 家財道具を窓から投げ出すところ、あれがすごく良い。中上健次が夫婦喧嘩で冷蔵庫をぶん投げたらしい、という伝説を思い出した。路上で家族が剥きだしになっているという感じ。
 これも「ランド・オブ・プレンティー」と話の筋は似ている。放蕩オヤジと家族の再会だ。ただ、あれは帰ってくるのが姪っ子なんだけど。「パリ・テキサス」もそうだな。それにしても、ドイツ人の彼がなんでアメリカで家族の問題を題材にした映画を撮るんだろうか?ヴェンダースは、何故この取り合わせ?という取り合わせを実現してしまうことにかけては天才だから、何故という質問自体がナンセンスかもしれないんだけど。
 ふと、思ったけど、グローバル化アメリカ化して9/11テロを「ランド・オブ・プレンティー」で考えているヴェンダースと、未だに自分をヨーロッパ人と定義してバルカン半島固執してみせるゴダールアンゲロプロスの違いって世代の問題だけなのかな?日本人的には、はるかにヴェンダースの方が分かり易いし、取っつきやすいんだけどな。でも、ヴェンダース見るたびに、なんかずるくない?っていう気がどこかでするんだよな。最近、どうしているのか、とんと噂も聞かないレオス・カラックスが懐かしく思える。ベルトリッチみたいに体調が悪いというわけでもないので、余計ヴェンダースに対しては絡みたくなるんだよな。今回も最後はまたボノだし、そういう意味では突っ込みやすい、というところが、ヴェンダースの良い意味での「かわいさ」だとは分かっているんだけど。ヴェンダースジャームッシュは、感覚が外人という気がしないんだよね。日本人と同じ感覚で話を出来るような気がする。
 触れられたくない失敗作ということになるんだろうけど、「夢の果てまでも」以降のヴェンダースの映画は、すごく低い目線のものになったという気がする。それまでの大きな世界観を描こうとしていた映画から、同時代的でグローバル化された設定(?)の映画になったのに、テーマは個人のレベルの視点になった。ある意味日本化されたというか。同じ主題の変奏として描くという意味では、小津的というか。80年代映画作家の21世紀におけるその後、というのは、誰か腑に落ちる解説してくれないかな。