モバイルでライブ体験すると言うこと

 さてさて、東京事変のライブの中身もともかく、今回ずっと2ちゃんのスレッドをうちでも外でも見てたんだけれど、これが面白い経験だった。昼ごろからグッズ買うために行列に並んでいる奴なんかが、報告をあげてくる。別に大したこと書いてるわけじゃないんだけど、生ならではの同時性があるから、おもしろいんだよな、あれが。当然、デマもいっぱいある。でも、そのデマを告発する書き込みもある。本当のことをデマだと書き込む奴もいる。何が本当なのか、訳がわからない。誰も信じられない。でも、書き込みが続くと大体何が本当らしいのかは、読んでいる人はだんだん大体不思議とわかってくる。結局そこでわかるのは、どうもこれが正しいらしい、というレベルのことなんだけれど、それが我々が一般人として知りうる限りのリアリティーじゃないのかな。それ以上の情報にはリアリティーを感じられなくなっている。「本当のこと」よりも「本当らしさ」の方がリアリティーがある時代。
 裏の見えないマスコミの報道にはないものが、やはり口コミにはあるんだと思ったよ。テレビで「こうです。」と発表されても、昨今のやらせ報道や不祥事の山を知っていれば、もはや鵜呑みには出来なくなっている。だから、マスコミ自身すら、他者のマスコミの不祥事暴露報道にはやたら熱心だ。そんなマスコミのメディア・ファシズムよりも、2ちゃんの便所の落書きの山の中で「これって本当じゃねえの?」と思うものの方が「真実らしさ」があるような気がする。信じられないものしか信じられない。胡散臭さだけがリアリティーを保証する。のだろうか。
 メディアのファシズムに対するカウンターとしてのみ、胡散臭さは機能する。でも、それはどこまで胡散臭さとして存在出来るのだろうか?すぐにそれはファシズムに転化する。ホリエモンの逮捕前後に、ライブドアの忘年会の映像が「探偵ファイル」からの引用としてテレビ局で流れていたけど、ああいうのってすごく危ういと思う。
 面白すぎてなかなか進まない梅田氏の「ウェブ進化論」でも、グーグルは情報発電エンジンが神だという信仰を持った組織だ、という話が出てくるが、そういう意味では、グーグルは2チャンネルの無法性とも相通じるようなものがあるといっても良いのだと思う。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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