「DEATHNOTE デスノート」

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 今さらながら、464で7巻まで立ち読み。いやあ、人間って面白いなあ。ややこしくってだんだん訳が分からなくなって来たので、正直言って、竜崎が死んでくれたところでホッとした。ここでリセットしてくれないと、もうついていけない。何が何だか分からない。ここまで、悪い主人公というのも、漫画史上無かったのではないだろうか。追う者の視点より、追われる者の視点の方がスリルがある、ということを白日の下に晒してしまったというのは画期的だ。それにしても、巻を追う毎にだんだん死神が可愛く見えてくるのが不思議だ。さあ、8巻と9巻を買いに行かなくては。
 で、早速買ってきて9巻まで読んだ。ああ、面白かった。時間が空くと、前の話が分からなくなってフラストレーションがたまるから、やはり、このくらいの量をためて読む方が快適だ。
 顔と名前が判明すれば、ノートに名前を書くだけで人を殺せる。当に、インターネット時代の発想。顔と本名というIDだけが生命線であり、携帯電話やメールでいかなる情報がどうやり取りされようと、それは決してそのまま信じることは出来ない。隣にいる男がキラなのかどうか、一体何者なのかということすら同定出来ない。そして、そいつが常にキラであるとも限らない。しかし、顔と本名が同定されればそいつは死んだも同然なのだ。それだけで人を殺すことが出来る。まるで、自作自演だ何だと荒れている2ちゃんねるのスレッドのような世界。情報化社会に於ける命とはIDに他ならない。そう考えると、キラもLもニアも、皆ハッカーみたいなものだ。彼らの戦いは、自己同一性の罠が幾重にも張り巡らされた蜘蛛の網の上の情報戦である。
 テクノロジーがこれだけ発達してしまうと、例えば、携帯電話一つ取っても、デバイスからソフトウエアにいたる全ての原理を理解出来る者など誰もいない。こういう今の時代では、死神のデスノートと携帯電話の間にたいした違いがあるとは思えなくなってくる。死神が出てきたところで何の違和感もない。むしろ、それは分かり易い位だ。昔から、オカルトとサイエンス&テクノロジーは常に表裏一体だったのだから、それは何も不思議なことではない。
 むしろ、恐ろしいのは、ここでは誰もドストエフスキーの「罪と罰」のような葛藤を持たないし、躊躇する者は八神総一郎のように、簡単に殺されていくことだ。「今どきそんなことで悩むのか?大体、これはお話だよ、それにそんな力を手に入れたらやっちゃうのが普通だろう?むしろ、キラがもっと悪いことしない方が不自然だよ。」というのが、大方の本音の感想ではないか?ピカレスクと言うよりは、冷血な登場人物の思考回路は、今の時代の雰囲気そのものにも思える。唯一、愛のために死んでいくのが死神、で、それが妙に説得力があるのがおもしろい。
 覆面を被っているらしい原作者の正体を巡って詮索があるというのも、このマンガに相応しくて面白い。この原作を考えていると気が狂いそう。

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (2) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (2) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (4) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (4) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (5) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (5) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (6) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (6) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)

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DEATH NOTE (8) (ジャンプ・コミックス)

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DEATH NOTE (9) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (9) (ジャンプ・コミックス)