「勉強」特権階級の没落:梅田望夫氏の"My Life Between Silicon Valley and Japan"がおもしろい

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http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050624
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20050626/p1
 時々読ませていただいているのだが、この議論、鋭いところついている。はっきり言って、私も今そういう生き方してる訳だし。痛いとこつかれているなあ、と思う。そういう階層って昔からいた訳で、それが不要になってきているということなんだと思う。
 でも、大会社がそういう階層を不要にすることができるだけの情報システム・ツールを備えているか?といえば、なかなか難しそうではある。トップが情報を全部一人で掌握して、判断をビシバシ下していければいいけど、実際は人間のキャパシティーには限界があるので、情報が幾ら貯まっても、それを整理する人間というのは必要になる。ただ、そこの整理がただの整理で終わるか、判断に寄与できるだけの価値があるかどうか?というレベルが問われることになる。方向性は間違いないけど、その移行が出来るかどうか?ヘタすると、機能せず単純化で混乱が生じるんだろうな。でも、それで困らないと言うことも露呈されていく。
 スピーチライターというのもやったことあるけど、あれはあれですごく勉強になるので、一度や二度はやって悪いものではないと思う。ただ、スタッフ丸投げのお馬鹿さんの原稿作っても仕方ないけど。それから、それが仕事になったら、お終い。そのときについたコンサルの持ってきたたたき台の原稿が、まさに「年収300万円でも結構楽しいよ」だったんだけど、そのときのプロジェクトが「日本活性化、元気出そうぜ」みたいなテーマで、思わず『それで、元気出る訳ないだろう!』と激怒しつつも、それはそれで正しいよなあ、と云う共感も心の中ではあって、ずっと引っかかっていた。これをトリガーにして、少し真面目に考えてみたい。
 これは、特に高学歴の女性にとっては切実な問題なんではないか?能力を100%発揮してへとへとになりながら、家庭をあきらめる/子供をあきらめる/仕事をあきらめる、という不毛な選択肢を選択しなければならないと云うのが、今の現実ではないか?出産して子供が何歳になるまではスローライフ、というのもありだし、人生スローダウンする時期があっても良い。こうした点については、ますます女性に学ぶことが多くなるんだろうなあ。ただ、一度スローダウンするとペースを上げるのに気力が必要だけど。